
★「説教をしていて、必ずしも自分の思ったとおりには受け取られないことがある。誤解されることすらある。その結果、教会へ来られなくなった人もいる。そのたびに、人を信仰に導くなんてとんでもないことと思う。牧師をやめたくなることすらある。しかし、私がどんなにつまらぬこと、至らぬことを語っても、最後に整えてくださるのは神である。それを信じたとき、『ああ、きょうも神のことばを語ることができた』と感謝にあふれるのである。よく洗礼を受けようという人の中に、『私は神様の御心に添えるような生活ができるかどうかわかりません』と言う人がある。できないのが人間である。そのできないところを喜んで補ってくださる神がおられるから、信ずるのである。信仰は、自分の足りなさを補ってくださる方に依り頼んでいくものだからである。」(”ちいろば先生”こと、榎本保郎 牧師)