
誘惑されることと、罪を犯すことは、正しく区別しなければならない。悪魔が頭に吹き込む考えを支配することはできない。パウロは『悪い者が放つ火矢』(エペソ6・16)について語っている。主イエスご自身も誘惑を受けた。悪魔は主の頭にあれこれと考えを吹きこんだ。しかし主はそれらを拒絶し、罪を犯すことはなかった。あれこれの考えが頭を「よぎる」限りでは、それは罪ではない。それらを歓迎し、気に入るとしたら、そのとき、それは罪となる。多くの人が、自分に下劣な考えが入ってきたからといって、非常な苦しみに陥った。「入ってきた」のであって、「そう考えた」ではないのなら、罪を犯したのではない。それは悪魔からやってきたのである。誘惑は、それ自体として」罪ではない。