【借金】

私は昨年末に知人にお金を貸しました。
その人には資力がほとんどないので、そのお金が全額戻ってくることはないと覚悟して。

そして、単に貸すことはしたくなかったので、「毎月少しずつでもいいから返して欲しい。それによって返す意思のあることを示し続けて欲しい。」と伝えた上で貸しました。それに対して、その人は「一生かけてでも返す」と言いました。

そして、約束通り、貸した金額に比べれば微々たる額ですが、毎月返してきています。しかし、この先もこの金額のままだとすれば全額返済し終わるまで10年、20年、あるいはそれ以上かかるでしょう。

その時まで、その人は月末が近付くにつれて「返さなくては、返さなくては」と気を揉み、私も「今月も返してくれるだろうか。どこかへ逃げてしまわないだろうか。」などと気を揉み続けることになります。

借りた金を返さないのは信義に反します。
しかし、返ってこないのを覚悟の上で貸したのは私。そのために、お互いに心の負担を負うことになってしまった。

この双方の負担を下ろすことも「仁」ではないかと思い、数日前に「もう返さなくてもいい」と連絡をしました。すると私の体の力が抜けて、ホッとした気持ちになりました。何かから解放された気分です。「貸したお金」に対する執着が取れたのでしょう。

精神疾患を患っている私にとってはこうして一つずつ重荷を下ろしてゆくことが必要だと思います。身軽になることで気持ちが楽になり、病んでいる心の中が少しずつ観えてくるような気がします。

自分は今、何故、こうなっているのか。いつどこに問題があったのか。そして、これから先はどう生きてゆけば良いのか。

次第にそういうことを考えられるようになってきています。
貸したお金はこのような心の変化をもたらしたことへの「授業料」と思うことにします。

この物語はMASATOSHI KONDOによって書きました

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