修徳のすすめ
Story

「修徳のすすめ」
 
なぜ人に修徳が必要なのでしょうか。
 
理由のひとつに、「感情的にならないため」が
あります。
 
小さな我慢を繰り返して、それが大きくなって
爆発したり、過去からの納得できないことを
引きずったまま無意識のうちに感情的になって
しまうパターンは多々あります。
 
ご相談を受けてお話をしていても、
ニコニコしてお話ししてくださるのですが、
内容を聴きますと嵐の中にいらっしゃる。
あえて嵐の中から出ようとしないのです。
嵐の中で怒りを抱えてずっと闘っているのです。
 
怒りの原因に「悲しみ」と「寂しさ」が渦巻いています。
その感情があると、どうしても物事のとらえかたが、
ネガティブになったり、周りにたいして攻撃的になり、
結局、自分が疲れてしまうのです。
失敗の原因や家族の不和もそれを引きずっていることが
原因です。
「今、ここ」を理解するにもまだまだ遠い道のりです。
自分をどれだけ客観視できるか。
ここにカギがあります。
 
自分を苦しめる原因を外にあるのだと決めつけないで、
「すべては自分の心に起因するのだ」としっかり
認識することです。
 
「感情」がなくなれば人間じゃないじゃないか!という人も
いらっしゃるでしょう。
感情をなくすのではなく、コントロールするのです。
 
先人たちが気づき、築いてきたところから、
コントロールする方法を得るのです。
 
心晴れやかに、そして自分の中に幸福感を広めるために
「修徳」に励みましょうと申し上げているのです。
寛恕の人を目指しましょう!
*寛恕(かんじょ)…度量が広く、思いやりの深いこと。
あやまちなどをとがめずに、広い心で許すこと。

説教をしていて、必ずしも自分の思ったとおりには受け取られないことがある
Story

★「説教をしていて、必ずしも自分の思ったとおりには受け取られないことがある。誤解されることすらある。その結果、教会へ来られなくなった人もいる。そのたびに、人を信仰に導くなんてとんでもないことと思う。牧師をやめたくなることすらある。しかし、私がどんなにつまらぬこと、至らぬことを語っても、最後に整えてくださるのは神である。それを信じたとき、『ああ、きょうも神のことばを語ることができた』と感謝にあふれるのである。よく洗礼を受けようという人の中に、『私は神様の御心に添えるような生活ができるかどうかわかりません』と言う人がある。できないのが人間である。そのできないところを喜んで補ってくださる神がおられるから、信ずるのである。信仰は、自分の足りなさを補ってくださる方に依り頼んでいくものだからである。」(”ちいろば先生”こと、榎本保郎 牧師)

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